ひとたび男が衣服で男らしさを表現するようになれば、当然女にも女らしい服装が求められます。
それは、ひどい女余りの時代で、女は結婚するか修道女になるか娼婦になるかでしか生きていく術がなかった過酷な社会だった。
男より劣る性、男に寄生しなければ生きていけない女という性に求められる"女らしさ"が、強くたくましく
こうして活動の拘束性と肉体のひ弱さを表現すろ衣服か、女性服の絶対条件になっていく。
何枚もの布で足まですっぽり隠したフルレングフ、のスカートこそ「女性の脚の存在をみとめるのを躊躇していた時代、すなわち、脚というのはもっとも上品な社会ではタブーであり女性たちが生涯びっこをひきながら歩いていた時代の産物なのである」(『みっともない人体トバーナード・ルドフスキー著加藤秀俊・多田道太郎訳鹿島出版会)。
こういうタブーとしての脚が効果的に使われたのが、一八世紀半ばを背景に、モーツァルトの死に大胆な推理を施した映画『アマデウス』(84)。